もう11月ですね。
図書館行ってCD借りた。
秋天見た。
気付けばいろいろ手遅れになってそうなことに気付いた。
今日はこんな感じ。
図書館。
90年代っぽい曲、自分が昔見てたアニメで主題歌を歌っていたような感じのアーティストは一通り借り終えた気がする。次から何借りようか。とりあえず19とスタレビは借りてみるつもりなのだけれど。ゆずとか借りたいんだけど、予約がもう結構入ってるんだよなぁ。
秋天。
なんか思ってたようなレースにならなかった。割とペースは速いと予想していたのに、案外逃げ争いが早めに決着付いて落ち着いてしまった。ウオッカは外外回されそうと予想したのに、あんなに後ろで包まれてしまっていた。シンゲンは頭まであると予想していたのに、切れ勝負でついていけず、底が見えてしまった。なんだかなぁ。
取り返そうと府中の最終を予想したけど、結局買わず。3頭に印は絞れたんだけど、それ以外にもうまく乗れば2着までならありそうな馬がちょっといたんで。結果的に買わなかった判断は正解で、1着3着4着だった。
気付けば...。
簿記の試験が結構ヤバイ。
京都旅行が結構ヤバイ。
カラコが結構ヤバイ。
体重も結構ヤバイ。
なのに危機感が全然ないのがヤバイ。
やらなきゃいけないこと、後でどうせやる羽目になることはどんどんやっていかないと。ベストを求めるといつまでたっても進めないから、希求水準を超えたら即OKぐらいの勢いで。
余談
希求水準にからめて余談だけど、対案無き反論は無意味的な考え方があるけど、あれって時と場合に寄るよなと。すでにある案が希求水準を超えているならば、それに反論するなら対案を出すべきだなと。ベターを否定すんならよりベターなものを出せと。
一方で、すでにある案が希求水準を超えていないなら、対案は必ずしも出さなきゃならないわけじゃないなと。元の案が希求水準を超えていませんよ、このまま通したら危ないですよっていうのですでに意味があるから。
まあここで、元の案が希求水準を超えているのか否かの判断はどうするんだって問題が生じるのだけれど。ある程度客観的な尺度があるならいいけど、尺度がそれぞれの主観に依っている場合が往々にしてあるからなぁ。