そっちのほうが素敵ですから。

ヒットしてるもの、多少話題になっているもの、ある程度の存在価値が認められているものに対して「どうして○○のか理解できない」、「どうして〜〜のかわからない」なんて言い回しで否定しているのを時々見かける。「どうしてこんなエントリにブクマが集まるか理解できない」、「どうしてあんなマンガが大ヒットするのかわからない」みたいな。こないだもある人と本屋に行ったときに「名作のあらすじだけまとめた本が売られてるけど、存在価値がわからない。売ってるの見ると燃やしたくなる。」なんて言われた。
多分これは、わからないんじゃなくて関心・興味がないってことなんだろう。もしくは、理由を考えることすら嫌なほどそれを嫌っているんだろう。だって、ちゃんと想像すれば理由・原因なんてたいていの場合わかるでしょ。想像しても本当にわからないで「こんなものオレから見ればクズだ!本来はこんなになることなく消えるはずなんだ!」なんて思ってる人は、想像力がない人か、もしくは自分の常識=世間の常識と思い込んでる人。普通の人は冷静に考えればわかるって。そもそも本当に考えてもわからない場合は否定なんてせずに質問系・疑問系で言うって。*1
じゃあなんでわからないなんて言うのか。何で理解できないなんて言って否定するのか。それは想像しないから。想像力の欠如ではなく、想像することの欠如。
それじゃあどうして想像しないのか。想像したいと思わないから。想像しないといけない状況ではないから。想像する動機がないから。つまり、関心・興味がないから。もっと行くと、想像したくないから。理由を想像したくないぐらいそれが嫌だから。理由を知ることはそれを許容することにつながる可能性があるから。そしてそれは己の考えを否定することにもつながりかねないから。だから想像することもなく否定する。


あ、想像せずに「〜〜わからない」や「○○理解できない」なんて言うことを否定しているわけではないです。物や情報があふれかえる今日、興味ないことにまでいちいち想像力を働かせてたらそれこそ情報過多になって頭がパンクしちゃいますから。興味や関心のないものはばっさり切り捨てること、これはある意味この社会で生きていくためにみんなが身につけた生きる術ですから。


でも、ふとその理由や原因を想像してみれば、もしかしたら周りの人の事がちょっと理解できるかもしれない。新しい発見があるかもしれない。自分の興味や考えがほんのちょっと広がるかも知れない。そう思うのです。


多分自分も今までいろんなものを想像せずに切ってきたんでしょう。知らず知らずのうちに切り捨てるのが普通なことになっているんでしょう。そして今後も無意識のうちにいろんなものを切ってしまうでしょう。でもその中の少しでもいいから、理由を想像できるようになりたいです。だから「理解できない」なんて思ったときはちょっとでも想像してみるよう心がけようと思います。だって、バッサリ切り捨てるよりも想像してなにか発見や考えの広がりがあるほうが、素敵だと思いますから。



実はこのエントリも、最初に挙げた本屋でのあの発言のあと、「どうしてこの人は想像することなく切り捨てちゃうのか理解できない。こういう人って時々いるけど、明らかに損してるよな。もうちょい想像しろよ」と思って、ふとその理由を想像してみて書いてみたものだったり。

*1:この段落はオレの常識=他人の常識になりかけてる論理だなぁ。反省。