心理学の実験参加アンケートの記入欄が

ケータイの番号(   )
メールアドレス(   )
ってなってたからなんのとまどいもなくケータイのメアド書いちゃったけど、
(電話番号は抵抗があったけど迷った挙句書いた。)
むこうのメアドはフリーメールで、
よくよく考えりゃあものすごいアンフェアだったなぁ。
卒論に関わる実験で、一応実験主催者として名前も学年も学部も言ってたけど、
究極的にはそれがあってるかどうかなんて確かめようもなく。
唯一彼らを信頼できる根拠は、そこにいた教師が何もツッコんでなかったってこと。
周りはわからんけど、少なくともオレはその根拠だけで彼らを信頼したと。
「教師がツッコんでないから、彼らは本物だろう」と。
怖いことに無意識のうちに。


あっちは実質個人データをまったく出してない。
かたや、名前や学籍番号、ケータイのメアドを差し出したオレ。
こんなにアンフェアなのに"それでも良し"とした根拠は、無意識の判断。
しかもそれを自覚したのはアンケートからすでに3日たった現在。
無意識の判断というのはある程度信頼のおけるものらしいけど、
(参考:第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい (翻訳)
それでもその判断を自分が無意識にしたものであるとその場で気づけなかったのは
どうなんだろうか。

もっと考えれば、これは実験主催者側にも同様にいえる。

あっちから見れば、自分たちは名前や学部、フリーとはいえメアドを言ったけど、
こっちが正しい情報を書く確かな根拠なんて存在しない。
あえてあげるなら、その場が大学の教室であり、心理学の授業であること。
あと、実験に参加すると加点があること。
多分これも無意識のうちに大丈夫だと判断しているのだろう。
「こっちは実験主催者でメアドを言うぐらい当然。もしかしたらこっちの情報だけ
取られる可能性もあるけど、授業だし大丈夫だろう」と。
でもアンケートの実施日が事前に漏れてて、個人情報目当てでもぐってる人がいる
可能性はゼロとはいえない。

こう考えると、かなり危うい信頼関係の上に成り立ってるんだなぁと。

お互いに疑おうと思えばいくらでも疑える。相手を貶めようと思えば、いくらでもできる。
でも、それをしない。なぜか?
無意識の判断が良い方向に機能しているから。


危うい信頼関係が無意識の判断によって成立していることに多謝。
でも、この無意識の判断に気づいてないからこそ
信頼関係が成立している面も否定できず、
それでもこの無意識の判断を意識下に置きたいと思っている俺は、
傲慢なのだろうか、とも思ったり...

結論じゃなく頭から考えて書いてるから、

文章構成やら筋やらぐちゃぐちゃだな。