審判問題

セ会長 誤審の存在認めるも抗議一蹴 スポニチ
セ会長、3球団に「判定に従うべき」 - 野球ニュース : nikkansports.com
「誤審」抗議書にセが回答「論評すべきではない」 SANSPO
今日のスポーツ紙サイトに揃って載っていたのが、このニュース。巨人、阪神、ヤクルトから出てた抗議書に対し、「審判員の裁定は最終のもの」という野球規則を根拠にして退けたというもの。今までと違い「審判も人間である以上、間違いを犯すこともある」と多少の譲歩は見られたものの、本質的には変わらない回答。


確かに審判の決定はその試合においては最終判断である。それが成立しないと野球自体が成立しない。しかしそれとは別に、試合の後にその判断が正しかったかどうかの検証はできないものだろうか。「試合中の判定」と「判定の検証」を分けて考えられないものだろうか。


どんなスポーツでも――特にビデオ判定のないスポーツは――審判の能力というものが問題になりがちである。サッカーだって、シミュレーションだったかどうか、ハンドじゃないのか、といろいろ問題になる。それらはある意味でしょうがない。それも含めてスポーツだから。しかしだからといってそれに甘んじて能力の向上を目指さないというのは別の問題である。


能力の向上を目指さないことは2つの問題を引き起こしてしまう。1つは純粋に能力不足という直接的な問題。そしてもう一つは、その姿勢からくる不信用。競技者が審判を信用できなくなれば、競技者と審判の関係は悪化し、円滑にスポーツを実行できなくなる。


ではどうやったら能力の向上が図れるのか。それは実際に起こった失敗を反省することである。失敗が起こったらそれを検証し次につなげる。今回はそのいい機会だったはずである。ミスを省みることが出来るだけでなく、対外的にも姿勢をアピールできたはずだ。


なにも試合の結果を覆せというわけではない。(もしそんなことを言う人がいたら、それこそスポーツを勘違いしている人である。スポーツ関係者にそういう人がいたとしたら、それこそ問題。)
ミスを認める度量、能力向上を目指す姿勢、そういうのがちょっと欠けすぎているのではないか。
権力だけでは管理することは出来ない。権威があってこそ、信頼関係があってこそである。