「好き」とは

iwaのをうけて。好きこそ物の上手なれ理論によるならば、きっと好きなことについては語れるんだと思うけど、その一方で下手の横好きなんて言葉もある。
詳しさに限定して言うなら、好き=通マニアオタクである必要はないんだから、別に詳しくなくても好きって言っていい気がする。むしろ、通マニアオタクレベルでないと好きって言えないようなら、サッカー好きはみんな解説者やサポータークラブのトップのほうになっちゃうし、鮨好きはみんな「トロもいいけどやはり鮪自体の味を味わうなら赤身」「コハダって腕の差が出るよな」「船底って重要だよね」なんて言うような人になっちゃうし。


むしろ好きと言えるかどうかは、自分がどれだけMyLifeをそれに割いているか、自分の心の中をそれがどれだけ占めているかによると思う。そして、その基準は他人の基準でなく自分自身の基準であるべきだと思う。

例えば俺でいう競馬。予想ははずれるし、馬の名前はあまり知らないし、もっといえば騎手の所属も知らない。競馬場にいる人の8割方は俺より知識がある人だと思う。でも俺は競馬が好き。それは俺の中で競馬が大きなウェイトを占めているから。一生競馬と付き合っていくぐらい好き。
あと自転車。メーカーもよく知らないし、ツールドフランスもぶっちゃけ見たこと無い。日本の選手のことも兄弟でやってる人がいるってことぐらいしか知らない。自転車好きと会話したら5分と持たないかも。でも俺は自転車好き。河川敷を走っているときの感覚はほかでは得がたいものだから。俺の生活の中で自転車は欠かせないものになってるから。

趣味に関して自分以上にLifeをそれに割いている人は五万といると思う。でもそれを基準にするならば、それは他人の基準なわけで。結局自分はどうなのよっていうのが肝心かと。

と、あんまスコアよくないのに「ボウリング好き」なんて言ってしまい、「まあこれから上げてきゃいいか」なんて思ってるでんちゅうが語ってみたり。

p.s. Lifeって単語はやっぱ便利だ。「人生」と「生活」の両義的・掛詞的に使える。