トラバ論

トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか
すごいわかりやすい説明。こういう風になってたんだ。まあ正直鎖国状態のこの日記にとってはまったく関係ないことなんだが。
こっからはおれの考え。
 言及リンク文化の人は、トラバ元の記事にトラバ先のリンクがないのを気持ち悪がるわけだけど、その根底には自分のブログを完璧なものにしたいっていう意識がある気がする。自分のブログは自分のblog観に完全に適合するもののみで構成されたブログであるべきっていう感じの。自分のサイトなんだから自分の世界にするのは当たり前だと俺も思う。でもblogはもともと意見の交換・記事の連動を目的にされているものなんだから、それを行う中でその「意見」や「連動」の定義が違う人がやってくるのは当然な気が。特に自サイト内なんだけど他サイトの人もいじれるトラバなんかには。
 「定義が違うサイトとは相容れない」って定義にこだわるのもいいけど、そんなこといったらblogなんてもともと日記を書くためのものじゃないのに多くの人はblogで日記をつけているわけで、もうちょい寛容になってもいいんでない?って思うけどなぁ。
 まあ、受ける側だけでなく、送る側も「内容が似てる→即トラバ」じゃなくて、トラバは相手のブログの一部をいじる行為ってのをもうちょい意識して、相手に合わしてトラバすべきなのかも知れんけど。
 あとは、昔の"リンクフリー"みたいに、それぞれのブログがトラバポリシーを掲げるのを一般化させるとか。
 今思えば、ブログブームの前にあったサイトは、"リンクフリー"とか"相互リンク歓迎"とか、サイトによってはリンクについてわざわざページ作ったり、ほとんどのサイトがリンクポリシーを表明してたってのはすごいことだよなぁ。
(ブログとblogを使い分けてみたり。国語の問題文みたいだwそれぞれの意味するものは何かを書け、とかw)